こんにちは、まちのこです。
ミニマリスト界はもちろんのこと、世間でも〝衣類の制服化〟という考えが浸透しつつあるようです。
〝その日着る服を選ぶ時間を短縮し、時間を有効活用しよう!〟
というもの、ジョブズ的考えですね。
その日着る服を選ぶ、毎日のことですから大変な時もあるので効率的でいいと思います。
だけど、私にとって服を選ぶ=おしゃれを楽しむ。
こんな図式もあるので、服を選ぶ事が効率化だけじゃ計れない部分もあるの巻。
おしゃれをすることを止めた過去。
私がこんな風に考るようになったのは、今から15年くらい前の出来事があったから。
私にとって試練の時期でした。
今の土地に住む前の話。
主人の転勤で、大都会から私の人生初のいわゆる地方・田舎に住むことになった時。
〝まちのこ〟というくらいですから都会にしか住んだことのない私。
カルチャーショックでどうしていいか分からない。
そんな毎日でした。
街中はほとんどシャッターが閉まり活気はなく、人も歩いていない。
ですから、おしゃれして行くところもない。
そして、おしゃれしようという気持ちも起こらなくなる。
情けなくも、都会育ちのおしゃれが大好きな私は、そんな環境に生気をだんだん失われていくのでした。
おしゃれしてもどうしようもない、着る物だってどうでもいい。
化粧もほとんどせず。
そんな風に気持ちがふさぎ込んでしまっていました。
わずらわしいが幸せな事。
衣食住の大好きだった〝衣〟の部分を失った暮らし。
5年ほど続きました。
その私にとって暗黒な時代、何を着て過ごしていたのかも覚えていません。
服はほとんど買ってなかったのは覚えています。
買う気にならなかったから。
そこから、転勤があり今の土地へとやってきた私。
都会にまた戻った私はダムが崩壊したかのように、服を爆買いし、おしゃれすることをとことん楽しみました。
まぁこれもどうかと思いますけど、反動が凄かったのです。
このことに後悔はありません。
ホントに嬉しくて、楽しかったから。
5年ぶりに仕事も始め、毎日服を選ぶ喜び、その服を着ていくところがある喜び。
一般的にわずらわしいと思われる毎日の服選び。
それが私にとって本当に幸せなことでした。
当たり前な事を失って、初めて分かる幸せ。
おしゃれは心のバロメーター。
環境に最後までなじむことが出来ず、自分のためにおしゃれをすることが出来なかった私。
あの頃の私はヤバかった、地元の同級生にも言われてたほど生きてる感触がなかった。
こんな私が悪いのは分かっているけど、どうしようもなかった。
こんな情けない自分も自分として認めます。
元気があれば何でも出来る!
アントニオ猪木さんがおっしゃってると同じく。
元気がないとおしゃれは出来ない!
おしゃれをしようという気持ちが沸き起こるというのは元気な証拠。
心のゆとりがある、幸せな証なのです。
効率化ばかり先行しないで、服を選ぶ喜び、おしゃれをしようとする心のゆとりも忘れないでいたい。
しかし、忙しい毎日だからそうそう時間も費やしていられないのも事実。
だからこそ、少ない数で自分の納得のいく服だけを持ち、おしゃれを楽しむことがいいと思う。
今日も元気に服を選ぼう、今日は何を着ようかな!
本日もお読みいただきありがとうございました。